大どら焼き

新田乃庄

0276-37-4711

〒373-0052 群馬県太田市寺井町896-1

[ 営業時間 ] 11:00~22:00 [ 定休日 ] 年中無休

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大どら焼き

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大どら焼き

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新田乃庄超大判どら焼き「源氏相伝」由来
建久4年春、征夷大将軍、源頼朝公は、下野国那須野から上野国三原の辺りで狩りをされたことがありましたが、鎌倉へお帰りの途中、新田義重公に招かれ、新田の館と呼ばれていた彼の居城「寺尾城」に立ち寄られて何日かを過ごされたと、 史書「吾妻鏡」は伝えております。 言い伝えによれば、このとき義重公は、新田の勇士の中から豪弓の使い手3人を選び、流鏑馬を披露いたしました。その日は折悪しく風が激しく吹き荒れていましたが、 射手たちは舞い上がる砂塵を物ともせず、松に懸けた陣笠を見事に射抜き、 頼朝公より恩賞を賜りました。 ときに頼朝公は「ここ新田の庄の新田原を、これより『笠懸野』と呼ぶがよかろう」と 命名されたということです。また、義重公は宮廷に大炊介として仕えたことがあり、 接待料理の製法にも詳しかったので、この日、頼朝公のために、 陣中の大銅鑼を焼鈑の代用として、即席の焼き菓子を献上しましたところ、 頼朝公は殊のほかお気に召されて、 「おお、まことに佳き味よ、以後源氏の相伝とせよ」と賞讃され、 義重公は大いに面目をほどこしたということであります。 以来、新田の庄寺尾城より伝統の名菓が、 しばしば鎌倉大将軍に献上されてきたと伝えられております。

入相や茶釜に響く銅鑼の音
そもそも、銅鑼は唐金で作られた盆形の打楽器で、 もともと仏具で、戦陣の鉦でもあり、戦国の武将たちは、茶道を楽しむ 折の合図にもこれを好んで用いたといわれます。
また、当店の「銅鑼焼き」は新田庄寺尾城跡より出土した陣中の大銅鑼の形に似せて その名の由来と共に、深い歴史の味を秘めているのでございます。

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